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| 北向地蔵尊と名称が名付けられたのは、明治時代の 日露戦争当時、厚狭方面に住んでいた人が医師に 見捨てられ困っていたところ 「片倉の高台に、北に向いたお地蔵様がありますので そのお地蔵様に祈願すれば全快は疑いなし」と法人に教えられ、 地元の人に「願いかけ」の代参を頼まれました。 満願の日、全快されたので、お礼にと参詣されるため、 お地蔵様に陣傘をお供えされたそうです。 その後、重病におちいった山口の人が、 やはり法人に教えられ、お地蔵様に日参され、満願の日には 全快されました。お礼にこのお方は、陣羽織をお着かせして お供えされました。 俄(にわか)に陣傘、陣羽織の士となられ、この頃から [片倉の北に向いたお地蔵様]と言って 尋ねて来られる信者の方が多くなりました。 遂には[北向地蔵尊]という名称が付けられたのであります。 |
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| その昔には、緒方の勢力争いが激しくなって、奈良天皇の時代に至り、 大内義隆はその臣 陶晴賢に殺害され、弘冶三年には大内義長が、 毛利元就によって、山口の地に攻められ滅ばされるなど、 片倉の豪族たちもこのような戦いに巻き込まれのか知る由も ありませんが、いつ如何にして果てしものか、 知る人もないありさまとなりました。 [北向地蔵尊]は、これらの人たちとの、 つながりがありそうに思われるのであります。 |
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境内から参道へ長蛇の列が続きますが、参道には地元の農家の人たちが 作られた、新鮮な野菜や漬け物などの無人販売所が数ヶ所に 設置されてあり、道行く人を楽しませいます雰囲気は、 片倉の地蔵様ならではの、独特の田園風景であり、賑やかに並ぶ 露店と共に人気を集めております。 これからも、子々孫々に至るまで、有り難い御利益を授かりつつ 益々御発仰を信ずるものであります。 |
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